しゃーわせ

君はなにしてる?僕は寝転がってボ・ガンボスのライブ盤を聴いてる。それで、よせばいいのに幸せってなんだろう?とか考えてる。
幸せは反語的に発見されるものじゃないか、ってさっき気付いた。ああごめん、結論だけ先に持ってくるのは悪い癖だよね。でもさ、思考の過程なんて見せられてもおもしろくないだろ?まあいいけど。




つまりさ、こういうことなんだ。大切なのは金じゃない、って言うために金持ちにならなきゃいけない。だから必死に働くんだ。ってだれかが言ってたんだ。僕はそういう必然性ってあると思う。じゃあって、僕は考えた。
愛なんて幻想だよ、って言うためにアホみたいに恋愛漬けにならなきゃいけないのかなって。石田純一が「愛は素晴らしい」っていうより、「愛なんて幻想」って吐き捨てる方がずっしり来るもんね。
ということはだよ、幸せ?別に大したことないけどねえ・・・と言うために幸せにならなきゃいけないんだろうか。反語として発見されるってのはそういう意味。でも、これだと結局幸せってのはつかまらないことになっちゃうよね。




で、僕はなにしたら幸せになれるだろう?って考えた。
ひとつの方法として、好きなことの究極を目指すってのがある。
僕は本やら音楽やらが好きだから部屋はエントロピーの増大に忠実で(つまり、汚い)参っちゃうんだけど、あんまり他のものっていらないなあって思っちゃうんだ。だから、欲しい本とCDを全部手に入れたら幸せなのかな?って。10億ぐらいあればこの夢って叶うのかもしれないけど、それもなんか虚しいよね。もう必要ないって、欲望が潰えたってことだもん。
「幸せとはあらゆる欲望が停止した状態である」って作家のビアスが書いてたけど、的を射てるぶん皮肉だよね。




そういうわけで、次の線を考えた。
即ち、定職があって金があって地位があって家庭があって、といういわゆる“立派な大人”になる線。
ちょっと前までこういうのが幸せだって本気で教え込まれてたわけだけど、僕らはもう、それが正しくも間違ってもないことを知ってる。
「それはおそらく幸せになる可能性を高めてくれると皆が思いたい条件である」
こう書けばまあ、正解かなーって思う。
と、ここまでは頭でわかるわけだけど、正直その先はなんにもわかんない。僕にわかるのは、「以上のように書いてきたのは書いてきたけども、たぶん幸せってのは、条件とか可能性って言葉から最も遠いところで発見されるべきものなんだろう」
ってことだけ。全部ひっくり返すみたいでごめんよ。だからもう一回!




君はなにしてる?




僕はもう、その答を知ってる。君はこの文章を読んでいる。
それだけでまあ、幸せだったりするんだけども。