風立ちぬ2 あなたへの質問

前回のクソみたいな分析(風立ちぬ1 - 
宇野常寛の解釈を批判的に継承しつつ、ほらね、批評なんてくだらないでしょ?ということをこそ僕は示したつもりだったのですが。あんなものはだれにでも書けるし、読み返してみても実につまらない。
『風立ちぬ』は、戦後民主主義から村上春樹まで続く“ナイーブでロマンチックな男の子”というセールスポイントで女を釣ってがんじがらめにした挙句創作上のミューズに仕立てあげ、それでいて自己のエゴに対してはまるで無自覚な男性芸術家のマッチョイズム、弱さのナイフで女を脅す傲慢なロマンティシズムが、宮崎駿の趣味丸出しな世界観(メカと女の子!)においていっそう無防備に表出されてしまったけしからん映画。
こうした解釈が間違っているというわけではありません。ただつまらないだけ。
宇野常寛が文化系マッチョイズムの無意識的な垂れ流しとして『風立ちぬ』を糾弾することは、彼の批評姿勢に照らして大いに意義がある。
しかしです。
あなたが見た『風立ちぬ』はほんとにそんな映画でしたか?




僕はそう問いたくて、問いを発するための準備をしました。それが前回までのあらすじ。
確認してみましょう。




・菜穂子は13歳ぐらいの時、地震の衝撃を受ける列車の中から二郎に助け出された。その際、フランス語の詩を読みかわし、瞬時に心を通わせてもいる。いわば、あたしはこういうものが好きなこういう人間ですよあなたはどうですか?という問いに対して、ぼくもそういう人間ですあなたと同じですよという返答を二郎は返したわけだ。
この経験により、実際的身体的にも詩的精神的にも菜穂子は二郎から一種の救済を受けたことになる。
退屈で陰惨な日常に煌めきを伴って現れ出る小さな救済。そのかけがえのなさを本能的に理解する瞬間こそ、“一目惚れ”の正体だろう。
菜穂子が二郎を好きになる理由は十二分にあったと言える。



・対して、二郎の側に菜穂子を好きになる動機はあっただろうか?
ここではもっぱら映画中で示される事象から菜穂子と二郎の恋愛をピンセットで取り出し、解剖台の上に乗せてみたい。
まず誰の目から見ても明らかなのは、友好を温めるうち次第に恋愛関係に発展し~という通常見られる形式から、二人の恋が大きくかけ離れていることだろう。とすれば、二人は互いに一目惚れ、もしくはそれに近い形で惹かれあったことになる。
では、菜穂子同様、二郎にも“小さな救済”の瞬間はあったのだろうか?時系列に沿いつつ、二郎の視点から検討してみよう。



①列車の中で初めて菜穂子と出会う。風に飛ばされた二郎の帽子を受け止める菜穂子。ヴェルレーヌの詩の暗誦に丁々発止で応じる。女中ともども、生命の危機から菜穂子を助け出す。
計算尺を届けるため、女中が二郎の通う大学を訪れる。この尺はシーン①で怪我の手当に使われたもの。慌てて後を追うも、女中の姿は既になく。 
③軽井沢の高原で菜穂子と再会する。強風に煽られた彼女の帽子をキャッチ。シーン①の映像的裏返し。なお、この時点において二人が互いを同定していたかは微妙なところ。疑惑が芽生えるに留まった可能性が高い。
④森を分け入り、貯水池の前に佇む菜穂子に近づいてゆく神話的な場面。ここに至って二人ははじめて、あの時のあの人!という確信に至ったものと思われ、再会の喜びに浸りあう。
⑤“風”にちなんだ詩を口ずさみ、ホテルのバルコニーから紙飛行機を飛ばす。紙飛行機は上階にいる菜穂子の下へ。菜穂子、これを投げ返す。



この直後に二郎が菜穂子に求婚することからして、小さな救済の瞬間は①~⑤までのシーンのどこかに顔を覗かせていなければならない。それはいったいどこなのか?



A.もっともありそうなのは、①の段階で既に惚れていた説だろう。震災という危機的状況を共有した経験も手伝い、とびきりロマンチックなトラウマとして菜穂子との出会いが記憶される。甘美な思い出の尻尾を捕まえそこねた②の恨みから、トラウマはますます深まるとともに神聖なものへと昇華されていく。恋愛に付随して刻まれるロマンチックなトラウマ。それはほとんど神の啓示に等しい。
ひどい近眼のため飛行士=実際家・政治家としての道を断念せざるを得なかった二郎がカプローニの啓示を受け、設計士=理想家・芸術家を目指しはじめる。作品冒頭のこのようなシークエンスから、堀越二郎アール・ブリュット(フランス語で“生の芸術”を意味する用語。美術の正規教育を受けた人間をインサイダーと捉え、そうでない人間をアウトサイダーと規定することにより指し示す範囲を不当に狭めてしまったきらいのあるアウトサイダーアートという言葉に対し、ジャン・デュビュッフェが提唱した。ただし、実際にはこのふたつの用語が指示する内容に大きな違いはない)の芸術家の変種と位置づけ、同じ設計士でありながら実際的・政治的な思考を併せ持つ本庄、カプローニと対比的に眺めようとする見立ては前回示した通りだ。
カプローニ、さばの骨、菜穂子。無二の親友である本庄の助言すら二郎のインスピレーションを直接は刺激しない事実を考えるに、これらから得た着想に固執し、ついには製作の糧とする二郎の芸術家としてのありようがアール・ブリュット的であることが納得されるだろう。
自己のうちにのみ存在する神への愚直なまでの忠誠心。助言ではなく啓示から創作上のインスピレーションを得る方法。そしてなにより、ひとつのテーマに偏執的にこだわる性向は、アール・ブリュットの芸術家に多く見られる特徴である。本庄が二郎に取ってのミューズたりえない要因は、一見淡白な二郎の性格にあるのではなく、単に芸術家としての資質の問題なのだ。
もっとも、社会的異端者であるアール・ブリュットの芸術家たちに比べ、二郎はあまりに多くのものを持ち得ている印象は拭えない。やがてミューズとなる菜穂子、良きライバルとしての本庄、そして裕福な家庭に生まれ育った自身のステータス。そもそもが航空機設計の正規教育を受けた二郎は、言葉本来の意味でのアウトサイダー・アーティストではない。このような側面を掘り下げていけば、芸術家・堀越二郎ではなく、生活者・堀越二郎の姿が浮かび上がってくるはずだ。
いやむしろ、次のように考えるべきか。設計についての純粋に芸術家的な態度と、あらかじめ多くを与えられたエリートである自己に対する負い目(銀行前に集まった暴動寸前の人々や、仕事を求めて線路を伝い来る地方出身者たちの姿は、世間知らずのエリートである二郎の目には奇異に映る。極めつけは、子供への施しを拒否されるシーンだ。おぼっちゃま育ち特有の優しさは、リアリスト本庄から「偽善だ」と非難されてしまう)。相反するふたつの性質が未分化のまま融合した状態こそ、堀越二郎という人間の本質なのだと。
物語が進行するにつれ、こうした二面性のうち最初優勢だった前者は徐々に後退していき、後者の側面が浮かび上がってくる。映画終盤、カプローニを前に二郎の口をついて出る自己批判めいたセリフは、彼の内面変化を表すものだろう。だがその口調にはどこか吹っ切れたようなトーンがある。
重要なのはこの点だ。本作がいわゆる感動大作的なカタルシスとはニュアンスを異にする感動
宮崎駿の創作姿勢から『風立ちぬ』を観察すれば、徹底した反感動主義が透けて見える。戦時下の混迷極める時代に生きた恋人たちの物語、という宣伝コピーから観客が期待する要素はふたつ。凄惨極まる戦争描写と美しいラブシーン、これを措いて他にはないだろう。死と性という究極の刺激を映像から受け取り、その果てに「生きろ」という力強いメッセージをキャッチすることを期待してだれもが劇場に足を運ぶはずだ。だが、その期待は見事に裏切られる。前半で映し出されるのはただひたすらに美しい空と飛行機のみであり、まるで戦争など起きていないかのごとし。菜穂子の再登場に至ってようやくロマンチックな恋模様が展開されるかと思いきや、あっという間にヒロインは死んでしまう。記憶に残る美しいラブシーンこそあるものの、その分量の少なさ・展開の速さは、ゆったり進行する前半部とはあまりに対照的だ。そもそも、病の進行につれ弱っていく体をおして懸命に生きる菜穂子の姿を丹念に描いた上でなくては、その死が感動をもって迎えられることは難しいだろう。宮崎駿がこうした“弱点”に無自覚であったとは思えない。もし『風立ちぬ』を感動作として作りたかったのであれば、空と飛行機への憧れが描かれる前半パートと二郎と菜穂子の恋路を描く後半パートの時間配分は逆転していたに違いない。敢えてそうしなかったのは、『風立ちぬ』を安易な感動主義映画にしたくないという強い意志の表れだろう。殺戮や空襲の場面を描かなかったからといって、“宮崎駿は戦争を美化している”と批判するのは短絡に過ぎるばかりか、安易な感動主義に首元まで浸かった人間の不平不満にすら思えてくる。つまり、当然に予想される感想「おもしろかったけど、なーんかものたりないなー」の“ものたりなさ”の捌け口として。だが、そのような反応は織込み済みなのである。
また、『風立ちぬ』を二郎の視線を主観的に表現した作品と考えた場合、戦闘や爆撃のシーンが登場しないのは、単に二郎に見えていない、見ようとしていないからにほかならない。映画中で唯一顔を出す破壊の情景がふたつの大戦の端境期に起こった関東大震災であることは示唆的だが、ここでの描写は圧倒的である。平凡な日常を営む町に亀裂が走るや、大地がぼこぼこと沸騰し始め、一気に爆発する!簡潔であるぶん、天変地異が発生する瞬間を描いてこれほど恐ろしいシーンも他にないだろう)
を呼び起こす秘密もここに隠されている。秘密を司るのは菜穂子だ。芸術家から現実主義者へと二郎が変容していく過程において、菜穂子は潤滑剤としての役割を果たす。その役割を宇野常寛はおおよそ次のように理解しているようだ。
「二郎の望むように、殺戮の道具である戦闘機設計という仕事の中からデザイン作業を芸術的な営みとして抽出することは、あまりに困難だ。この困難を容易ならしめるためにはなんらかの承認が必要となる。仕事の性質からして社会的承認が得られそうにない以上、これに代わる強力な承認を二郎は無意識的に求めるほかない。そこで登場するのが菜穂子だ。愛する人間からの「それでいいのよ」という言葉は、なににも増して強力な承認となるだろう。こうして菜穂子という絶対の承認を手に入れた二郎は、美学的幻想と政治的実践との間に横たわる矛盾に苦しむことなく、自らの仕事に邁進できるようになったのである」
このような理解のうちに浮かび上がる像こそ、先から問題になっている“菜穂子から人間性を収奪し、ミューズとして活用する”二郎であることは言うまでもない。
さて、菜穂子の役割が宇野が指摘するようなものであるかどうかはさておき、彼女はやがて死んでしまう。芸術創作上のミューズは、二郎が夢想家でいるために必須の承認は、消失してしまうわけだ。かかる状況が出来した際、残された者が自死を選択しようと不思議はないだろう。宇野常寛江藤淳の例を持ち出していることは意味深だ。戦後最大の批評家の一人であった江藤は妻にミューズとしての役割を押し着せた代償として、妻の死後ほどなく命を絶ってしまう。
ここまで考えを進めてくると、『風立ちぬ』のキャッチコピーでもある「生きねば」という言葉が、“困難な時代に向けられた宮崎駿からのメッセージ”という表層的な意味とは別の、より切実な意味を持ってくる。だれよりも二郎を理解していたであろう菜穂子が発する「生きて」というセリフは、生きる指針を失った夫への素直な心情の表れだったのではないだろうか。つまりそれはメッセージなどという大上段に振りかぶったものではなく、もっと俗っぽく個人的な叫びであったのだ。
潤滑油を失った二郎は、今後自らの矛盾した内面と向き合って生きていかなければならない。世の矛盾や理不尽を敢然と引き受ける本庄のように。だが、喪失という体験は、そのものが存在していたより以前の状態に人間を引き戻すに留まらない。“昔たしかにそこにあった”ものが無くなった時、“昔たしかにそこにあった”という記憶が残存するばかりに、状況が元通りになるなどということはありえない。深刻な喪失の体験は人間をバラバラにし、アイデンティティ崩壊の危機をもたらす。トラウマとは事物の消失と記憶の残存という矛盾の中から生まれ出てくるものなのだ。
菜穂子と出会う前の状態、相反するふたつの側面を抱えた葛藤状態に二郎は引き戻されるだけではない。愛する者を失った悲しみはナイーブな若者の心を裸に剥き、破壊し去ってしまおうとするだろう。そのような暗い予兆をも引き受けた上で、「(僕を裸にしてくれて、なにも持たない一人の平凡な人間として再発見させてくれて)ありがとう」と二郎が言ったのだとしたら。これほど悲壮な決意も他にあるまい。
しかしながら、「生きて」という地に足のついた呼びかけに対する応答が「生きるよ」ではなく、「ありがとう」というどこかロマンチックに響く言葉である以上、依然として二郎が自殺してしまう可能性は残されている。ユーミンの主題歌で歌われる“夢を追い求めるあまり儚く散った女の子”のイメージは、どうも菜穂子にそぐわない気がしたものだが、これが二郎であればピッタリ当てはまってしまうのだ。



話が脱線してしまったが、以上を鑑みるに、二郎が菜穂子との出会いを啓示として受け止め、その成就を絶えず願っていたことは大いに有り得る。




B.一方、アウトサイダーアーティストとしての気質を過度に評価することを避け、生活者・二郎という観点に従うのが第二説。
①と②で起こった出来事に特に固執することなく暮らしていた二郎が、③から⑤までの流れに接してようやく恋愛感情と呼ぶべきものを抱いたとする見方だ。もっとも、⑤で暗唱される詩の内容から察して、この時点において二郎が菜穂子を想っているのは明らかだから、特に検討を要するのは④までのシーンということになろう。
再会時、風に飛ばされる帽子を受け止めるという回想因子があったにも関わらず、菜穂子がかの人であるとすぐさま特定できなかったことは、学生時代の思い出にそれほど固執していなかった証拠かもしれない。とすれば、二郎は④においていきなり菜穂子に一目惚れしたことになる。初めて設計主務を務めた戦闘機がテスト飛行で空中分解してしまった経験は、二郎の心に苦い味をもたらしたに違いない。以降、菜穂子の再出現と符丁を合わせるように、生活者・二郎の姿が描かれ始めるわけだが、ともかく③④の二郎は失意の状態にあったのである。だれしも精神的に参っている時には、ささいな優しさですらありがたく感じられるものだ。落ちこんでいた気持ちが再会という劇的な事態に触れ、一挙に恋心へと転化するのはありそうなことだろう。




C.残るはAとBの折衷案。初邂逅時に芽生えていた恋心の萌芽が再会に当たって徐々に花開いていったとする説である。
現実の恋愛のありようを思うに、もっとも納得のいく説明ではあるが、これでは依然として“小さな救済の瞬間はいつ訪れたのか?”という問題が手つかずのまま残されてしまい、再三確認してきた劇的な恋愛の調子にもそぐわない。やはりどこかで二郎に“小さな救済”の瞬間が訪れ、稲妻に打たれるようにして恋に落ちたと考える方が自然だろう。





二人の恋愛が一目惚れに近い形で開始されたことを確認しつつ、“二郎は菜穂子をいつ好きになったのか?”という問題を考えてきた。
当然、次に来るのは、“二郎は菜穂子のどこを好きになったのか?”という問題だろう。ここで重要なのは、二郎はいったい、人間としての菜穂子を好きになったのか、ミューズとしての菜穂子を好きになったのか?という点だ。
本文ではここまで、ロマン主義的な芸術家としての資質と世間知に欠けた生活者としての弱みが共存する地点に堀越二郎という人間のパーソナリティを見出してきた。このように本来、一人の人間の中には多種多様な性格が共存しているのが普通だから、二郎の恋心を厳密に解剖してみることはできない。人間としてミューズとしてなどということとはまったく無関係に、二郎はまるごとの菜穂子を好きになったのだ、としてもなんら不自然ではないのだ。むしろ本人でさえ分析不可能な恋愛の成分を明らかにしようとする態度の方が不自然だろう。
とはいえ、“本人でさえ分析不可能な”という点こそが穴であって、夢と同様無意識が大きく作用する恋愛感情には、隠されたコンプレックスや願望が表出する場合が多い。フロイトの登場以降、この穴の暗がりを照らすランプとして、精神分析やある種の批評は役割を期待されてきたのだ。宇野常寛はまさにこうした視点から『風立ちぬ』を眺め、堀越二郎の、さらにはその鏡像としての宮崎駿の無意識を読み取り、旧態以前のものとして非難したのである。
批評とはなにか?なんらかの言説が批評として成立するためには、語られたものの背後に語られなかったもの・隠された真理を探ろうとする態度が必要になる。“本人でさえ分析不可能”な事柄を分析し得てしまうところに、批評の意義といやったらしさがあるのだ。
以下では、ひとまずこの野暮なランプでもって二郎の無意識を照らし出してみたい。




D.極端な解釈から始める。アールブリュットの芸術家である二郎が、純粋に創作上のミューズとしてのみ菜穂子を欲したという見解。
一見強引に思えるが、根拠がないわけではない。自身と同じように芸術家である菜穂子が描く絵に、二郎はなんの関心も抱かない。さらに結婚後、菜穂子は絵を描かなくなる。病状の悪化という即物的な事情もあろうが、この変化を、芸術家的な資質を封印して二郎のミューズとして奉仕する決意を菜穂子が固めたのだ、と見れば辻褄は合う。




E.続いてDと正反対の見解。即ち、二郎は菜穂子の人間性に惚れ込んだのだとする説だ。
①~⑤までで知った菜穂子の心の綺麗さにこそ、二郎は惹かれたのであり、菜穂子の絵に興味を示さなかったのは、単に彼女自身に夢中になっていたからに過ぎない。
この説明は少々苦しいかもしれない。結局のところ、“二人の恋愛の劇的な調子をどう説明するか?”という問題が呼び戻されてしまう。単純に互いの顔がとてつもなく好みだったのだ!と強引に決めつけてしまってもかまわないわけだが、映画中にはひとかけらもそんなことが示されていないから、決めつけはあくまで決めつけ、単なるひとりよがりの謗りを免れないだろう。




F.例によってDとEの折衷案。二郎は人間としてもミューズとしても菜穂子に惚れていたのだと考える。しかしこれでは、“芸術家・菜穂子にあれほど無関心なのはなぜなのか?”という最大の謎に答えることができない。




“どこ”という問題は“いつ”という問題と無縁ではない。DはA、EはB、FはCの見解に主に依拠しているが、それぞれの順列組み合わせも不可能ではないはずだ。
乱暴に言ってしまえば、宇野常寛はAーD説に近い考えを持っていることになるだろう。この説は根拠の大部分を“芸術家である恋人の作品にまるで無関心な男性芸術家”という二郎像に負っているため、やはり『風立ちぬ』を読み解く最大の鍵はここに隠されていることになりそうだ。
即ち、“二郎はなぜ菜穂子の絵に無関心なのか?”
劇中で二郎が菜穂子の絵に触れるのは一度きり。雨にさらされそうになった絵を気遣うように「濡れてしまいます」と二郎。答えて菜穂子、「いいんです」。
このシーンを、自らの芸術家的な資質を封印し、偉大なる芸術家・二郎に身を捧げる菜穂子の決意を暗示するものと見ることは可能だろう。
しかし。
「それじゃあつまんない!!!」






というわけで、ようやく、よーうやっく、みなさんに僕から質問を投げかけることができるようになりました。何事もそうですけど、大変なのは準備ですね(笑)
他ならぬあなたに尋ねます。


・二郎はなぜ菜穂子の絵に言及しなかったのだと思いますか?
・二郎は菜穂子の絵に興味がなかったのでしょうか?
・二郎は芸術家的としての菜穂子をどのように捉えていたのでしょう?


あるいはまた、


・二郎は菜穂子を愛していたでしょうか?
・愛していたとすれば、どんなふうに好きだったのでしょう?


そして最後に、


宮崎駿はなぜ菜穂子に絵を描かせ、芸術家としての側面を与えたのだと思いますか?



現在のところ、AーD説が圧倒的に有力であることは否定できません。しかしながら、この問いに思いがけぬ回答が寄せられた暁には、批評が持つつまらなさを突破する新たな可能性が見えてくるものと僕は期待してもいます。
前回の日記でも今回の日記でも、僕は「批評なんてくだらない」「風立ちぬを批評することには意味がない」と繰り返してきました。今やその理由も明らかでしょう。
つまり、作られたものから無意識の闇を照らし出そうとするタイプの批評では、宇野常寛が読み解いたような図式、AーD説の外に出ることができそうにないからです。逆に言うと、『風立ちぬ』はそれほど無防備に宮崎駿の無意識が反映されてしまった作品なわけです。
で、「1mmも共感できなかった」宇野常寛はそれでいいのですが、『風立ちぬ』に美しさを感じた(ジブリ作品に美を感じたことはこれまで一度もありません)僕としてはそうはいきません。なにかに美を感じたら、その感動に落とし前をつけないと気が済まない性質なのです。
「いったいなにがこの俺を感動させたのだ!?」
というわけで、この問いに対する答はまあ、“徹底して反感動主義を貫いた宮崎駿の覚悟”であり、“風立ちぬの映像内に宿るデカダンス・いけないものを見ている感覚”であることはだいたいわかるのですが、それだけでわかった気になって済ませちゃうってのも、ねえ?
もうひとつ。僕は批評の可能性を信じています。しかし、もし本当に批評なるものがAーD説の外に出ることができないとすれば。批評が持つ意義は薄れ、美しいものに水を差すいやったらしさばかりが強調されてしまうに違いありません。宇野常寛の『風立ちぬ』評を「映像の枠組みを注視するあまり映像それ自体の魅力を落とした感想」と非難する意見を目にしましたが、その通りだろうと思います。
実のところ僕自身の認識は宇野常寛の見解に近いものなのですが、批評をただいやったらしいだけの野暮にしたくないがために、僕はこの日記を書いたのでした。結果、どこまでも間延びしていくカッコ内が象徴するように、えらくとっちらかった代物になってしまいましたが、まさにそこにこそ批評の枠組みを突破する可能性を示し得たような気もしています。
また、型にはまった批評を避け、自由に羽ばたくために、僕は今『風立ちぬ』をめぐる批評とも小説とも詩ともつかない文章を書いています。こちらは今回の日記のように堅苦しくつまらない文章とは正反対のものに仕上がるはずですので、お楽しみに。
「批評なんてくだらない、無意味だ、と言いながら批評をやる。これも矛盾だ(笑)」