ランニング、ベランディング、クローニング

・昨日の自分が今日の自分と同じはずないのに、今日の自分は昨日も自分であったことを疑わず、周りもそのように扱うのは不思議なことだ。
胞子のような僕なのか。風に飛ばされる夢のなか。昨日の僕は寝てる間に無数の種を飛ばし、夜の暗さに打ち勝ったものだけが明日の僕として花開くような。毎日が死に、生まれ直す自分としてあるような。生活の本質にはもしかしたら他人がいない?




・3kg痩せた。足を挫いた。アダルトビデオの拒食症の女の子が僕を走らせる。いったいあれをどう言えばいい?皮膚を破って飛び出しそうな骨にわくわくした。
世界にはいけないものがあって、いけないかどうかの判断には高度な政治性と本能的な直感が絡みつくのだけど、いけないと判断されたものが遡及的にいけなくなる性質上、政治とは無関係の領域に咲くいけなさがあって。
あの子はきっと、そんな花だ。記録され、何度でも再生されるいけなさが彼女に許すものはなにか。それは脱衣の解放感であり、気休めに似た救済であり、生煮えのままの絶望なのか。
多くの場合、拒食の前段階には過食が起こる。食べたい、でも太りたくない。なんでこんなに苦しまなくちゃいけないの!?食べ物があるからだ。食べ物、こんなものさえなければ!!こうして過食は食べることそのものへの嫌悪、拒食に転じる。
生活する肉体としてではなく、犯される肉体として、あれ以上ふさわしい形はない気がした。裸がエロスなのではない、それは本来ずっとあっけらかんとしたものだ。あるひとつの目的以外に使いようのない形、そのフォルムこそがエロスで、なにかに向かって研ぎ澄まされていく一方、他のすべてに対してまるで役立たずに、無防備になっていく過程にいけなさがある。マラソンランナーと薬物強化との関係を考えてみるといい。ストイシズムはエロティシズムに通じる。それが病によって要請される場合、特に。
そんなことを考えながら走る。尖った骨を思い浮かべながら走る。
なんて不健康なランニングだろう!




・観葉植物を飼い始めた。ガーデニングなんてシャレたものじゃない。日陰者が日陰で行うベランディングだ。趣味はなるべく不健康に営むのがいい。
変わりばえしない毎日。変わらない自分を再生産する能力を失うことが、あるいは死か?
植物は女の子よりかわいい。