読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

かわいいかわいい僕らの日々のはじまりとおわり

間違い探しと聞くと左右の絵を見比べるアレを思い浮かべる人が多いかもしれませんが、僕がここで問題にしたいのは笑っちゃうぐらい悲劇的なヤツ、デートの幕切れ相手を見送った途上あうあーと頭を抱えてやってしまうアレのことなのです。
曰く
あの表情、なにかまずいこと言ったかしら…
あのお店、よした方がよかったかしら…
あの本、薦め方が強引だったかしら…



悩みの種は尽きることがなく、最終的には
あーっもうっ!向こうは全然気にしてねえっつーのっ!
逆ギレでせいせいしたふりをしつつ



でも待てよ、あそこであの反応はやっぱり…



なんて堂々巡りの悪循環。
同性や気のない相手とのデートにおいては間違い探しが発生しにくいことを考えれば、ある意味“間違い探しはデートの醍醐味”とも言えるわけですが、やっぱりつらいもんはつらい。苦しいもんは苦しい。



僕は今まで、間違い探しはもっぱら男の子にのみふりかかる災厄、女の子はくよくよスイッチの代わりに用途不明のボタンを満載したロボット(異性をロボットに例えることはなんら差別的ではない。これが差別なら「あの子は天使」なんて表現にも充分物言いがつくところ)ぐらいに考えていたのですが、間違い探し?するする、するよねー、あれってほんとイヤーという女の子に遭遇するに至って、震えるほどの感銘を受けた次第。
(感銘を受けるという表現はこういう時使うもんだと思うんですけど、どうでしょう?)




“笑ってサヨナラしてから 間違い探しをしていた どうしてなんだろう 間違い探しをしていた”



インディーズ時代のフジファブリックの名曲『笑ってサヨナラ』。
高校時分に聴いた時はいまひとつピンと来なかったのですが、今となっては痛いほどわかります。染みます。傷口にハバネロぐらい。
恋する二人にはただのひとつの障害もなく、晴れやかにうっとり日々を共有し、こっそり堂々と町を私物化しつつ、歯の浮くような台詞をさんざんっぱら撒き散らした挙句、楽しかった、楽しかったねー、じゃあ、じゃあね。
笑ってサヨナラ。
だけどなにか。
なにか決定的な間違いを犯してしまったような。手に入れてもないものを失ってしまったような。とりかえしのつかない気分に襲われる瞬間がたしかにあるわけで。



あーもう!大丈夫大丈夫!思い過ごし思い過ごし!



必死に言い聞かせども
なーんかギクシャクしちゃったり。
ああいうのを虫の知らせって言うのかしらん?




かわいいかわいい僕らの日々がはじまると、かわいいかわいい僕らの慰めと失敗が飛び交い、かわいいかわいい僕らのまま、かわいいかわいい僕らの日々が終わる。
それはあまりに突然で…




恋愛の主人公というのは(恋愛に限らないすべての関係の主人公も、もしかしたら)僕でも君でもなく、“僕ら”という未知のプレイヤーであるような気が時々します。
だから間違う。いきなり始まる。突然終わる。
ならば“僕ら”が隠し持つ正解に到り着くためには、バラバラに間違い探しするんじゃなく、君と僕が協力して答え合わせするべきじゃないのか?
いったい、デート後に答え合わせするカップルっていないもんでしょうか。まあ実際にはケンカの火種になるばかりなんでしょうけど、デートの答え合わせを次のデートに代えられる、そんな関係があったら素敵だと思うんです。




「恋愛に正解はない」
なんてよく言いますが、僕はこれ、厳然と「ある」と思っていて。
世界中でたった一通りしかない“僕ら”の正解がどこかにあるはず。間違っても間違っても良しと言えるような、そんなやり方があらゆる局面に。ありふれた君と僕は特別な“僕ら”を目指していいし、目指すべきだと思うんです。たとえ幾度敗北しようとも。




昨夜の間違い探しを「実は…」と打ち明けるのは、とんでもなく恥ずかしく勇気のいることです。だけど一度でいいからしてみたい、し合ってみたい、笑い転げながら。なんてささやかな夢。
一人きりの間違い探しから、二人一緒の答え合わせへ。
非現実的だってなんだって、僕は恋愛というのはそれぐらい“ありえない”ものだと思い込んじゃってるので、仕方ないんです。




女の子も間違い探しをする!という希望に満ちた大発見と、たとえ正解し続けてもかわいいかわいい僕らの日々は唐突に終わる、正しく終われたら終われたで、その悲しさだけには正解がないかもしれないという、そんなお話でした。