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おやすみの前に

おやすみの前におやすみ。
おにいちゃんにおやすみと言う。おにいちゃんがおやすみと返す。
ドアノブを回して部屋に入る。木製のネームプレートがカランと鳴る。
プレートにはMAKI'S ROOMとあるので、おにいちゃんはああ今日もMAKIがいるなと思う。だけどノックを三回して(中学に上がり家族全員にこれを義務付けた)、ドアを開けるまでおにいちゃんは汗をかく。MAKIがちゃんと真紀であることを確認すると、安心したように笑う。おはよう、真紀。おはよう、おにいちゃん。あたしも笑う。
毎朝おにいちゃんに名付けられる。そうしてあたしは始まる。終わりは簡単。おにいちゃんがあたしを忘れればいい。始まらずに終わることはできないけど、終わらずに始めることもできない。あたしはおにいちゃんに失われ、確認されて結晶する。
家族というのはきっと、そんなふうだ。




おはようの後におはよう。
おにいちゃんがおはようと言う。あたしもおはようと返す。
これで三分の一。細胞が名付けられる。
次におとうさん、おかあさん。行って来ます。
一度家を出た娘は、学校に行こうが戦地へ赴こうが許されてしまう。巨大な自由に清潔な覚悟。行って来ます。
下駄箱で友達に会う。おはよう、おはよう。これで満タン。あたしは目覚め、今日を命令される。




さよならみたいにさよなら。
好きな人なのに手を振る。新しく会いたいから、名付け合いたいから別れるのだ。
おにいちゃんには一度も言わないさよなら。関係から磁力を奪うさよなら。
離れた磁石をくっつけるのがおやすみで、唇はいつだって離れがたい。
さよならもおやすみも、どっちもあたしをバラバラにする。あたしだけのことを考えさせる。こころ。からだ。でっぱった部分。
世界に伸びたチューブを外す一瞬、現実からぽーんと飛んで、おやすみ、と言う。おやすみ、おにいちゃん。おやすみ、真紀。
そうしてあたしは失われる。