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汗と光

いろいろあって今ここ、をいろいろあった原因の結果として見る時に、今ここを巡るあり得た可能性が実際のそれとさほど変わりない場合、いろいろのひとつひとつを改竄しはじめることは罪だろうか。
セブンイレブンで買ったおにぎりをローソンで買ったことにする。別れた恋人を前田敦子にする。憎しみを神の啓示に変える。
どっちみち、腹はふくれる。恋人は戻ってこない、人は傷つく。どんな違いがあるだろう?
“おなじアホなら踊らにゃソンソン!”
ーーなるほど。本人が信じこんでいるぶんには、たしかに。



では、改竄された事実を他人に伝えたとしたらどうだろう。
「このおにぎり、ローソンで買ったんだよね」
「俺、実は前田敦子とつきあってたんだ」
「わたしの意思ではありません。神の命令に従ったのです」
これらの言動に罪の気配を感じない人間がいるだろうか。
他愛ない嘘。
肥大した妄想。
打算含みの自己弁護。
それぞれの場面における罪は、おそらく、改竄された事実の軽重と改竄の度合いによって計量される。



ところで。
あなたはこの手の改竄を毎日のように行っている、と言えば驚くだろうか。
最高、と言おうとして、最低と言い違えてしまう。最高、と言われたのを、さあ行こうと聞き違えてしまう。
体面を保つため、都合のいい部分だけを切り取って話す。だれかを思いやり、支障ない程度の嘘をつく。
この会社に入ってたくさんの人に出会えた。いろいろなことを学べた。選んでよかった、本当に。ーー本命に落ちてしかたなく、だったはずでは?
あの人とは悲しい別れになっちゃった。でも、あの時の経験があるから今があるのよね。新しい彼と出会えたのは奇跡だもん。ーー代わりなんているわけない、そう叫んだのはだれ?



ごらん。
あなたは罪人だ。自分の罪を数えてみるといい。
心当たりがない?
ほうら、またひとつ増えた。



いろいろあって今ここ、をいろいろあった原因の結果として見る時に、と言ったのはわざとで、実のところ、あなたはそのようにしてしか世界を把握できない。だから、いろいろをひとつひとつ改竄していくことによって、今ここを居心地よいものにしようとするのは自然だ。
厄介なのは、今ここが留まることなく変化し続けるものである以上、いろいろもその都度姿を変えてしまうことだろう。
いろいろはあなたではないだれかに取ってもいろいろだから、好き勝手に書き換えられてしまう。
事実がテレビのリモコンだとすれば、いろいろは12チャンネルで、あなたはグルメ番組になりNHKドキュメンタリーになりお笑いグランプリになるが、結局その正体は砂嵐なのだ。



「そんなのって、なーんかイヤじゃない?」



だったらこうしよう。選択肢はふたつある。

①あなたではないだれかがいろいろを操作できないように、いろいろをひとつにしてしまう
②だれかではないあなたがいろいろを操作することを諦めて、いろいろをひとつにしてしまう

どうだろう?名案ではないだろうか。
ただし問題がある。
①②どちらも、方法の行き着くところは狂気だということだ。事情はどうあれ、12チャンネルが無理やり同時放送される番組を見て、狂っていると感じない人間がいるだろうか?
いつも世界はいろいろで、結果としてのひとつはまた別のいろいろを形作る。いろいろは決してひとつになり得ない。



ところが。
いろいろあって今ここ、をいろいろあった原因の結果として見る時に、と言ったのはわざとで、実のところ、あなたはそのようにしてしか世界を把握できない、と言ったのはまったくのデタラメに過ぎない。
実際、あなたはいかなる罪をも背負うことなく、狂気に至る道を回避することができるのだ。
どうやって?
物語りによって。



いろいろを改竄するのはそれ自体罪ではない。しかし、改竄したいろいろをあなたとは異なるいろいろのなかに生きる他者に示すことは罪に近づく。
ならば、ただ示すのではなく共有する道はないのだろうか?
これこそが物語る動物としての人間の起源だった。



そもそも、あなたはなぜいろいろを改竄したがるのか?
つらいこと苦しいこと耐えがたいことが起こるから。
ーー浅い!
楽しいこと嬉しいこと幸せを感じることとの比較が生まれるから。
ーーう~ん、もう少し。
つらいこと苦しいこと耐えがたいことは楽しいこと嬉しいこと幸せを感じることになり変わる可能性を持っていたはずだから。
ーー近づいてきた。
つらいこと苦しいこと耐えがたいことは楽しいこと嬉しいこと幸せを感じることになり変わる可能性を持っていたと信じたいから。
ーー正解。そして、それがあなたの物語になる。



実際にはAだったことがもしBだったとしたら・・・
その願望が物語を生む。物語とは、罪を逃れた嘘のヴァリエーションだ。嘘は大胆な方がおもしろいから、「このおにぎり、ローソンで買ったんだよね」では物語にならない。
だがどうだろう、「俺、実は前田敦子とつきあってたんだ」にはあらゆるラブストーリーやファンタジーの素が潜んでいるし、「わたしの意思ではありません。神の命令に従ったのです」からは重厚な犯罪小説の香りさえするではないか。
嘘と罪の関係は、そのまま、想像力と物語の関係に置き換えられる。

“他愛ない嘘。
肥大した妄想。
打算含みの自己弁護。
それぞれの物語におけるおもしろさは、おそらく、改竄された事実の軽重と改竄の度合いによって計量される。”

ほらね?
そして、他者が創作した物語を取りこむ時、あなたの今ここはあなたが経験しなかったいろいろを含み持つことになるから、あえて嘘をつく必要はなくなるわけだ。



いろいろがひとつにならないのは、皆が好き勝手に世界を書き換えるからだと言った。
改竄。それは物語ることの酵母である。小説を書かなくても、才能がなくても、物語ることはできる。できてしまう。
いろいろがいろいろなままなのは、ひとりひとりが自分の物語をやめないからなのだ。

のように。
回り回って。
やはり。

あなたは罪人だ。
いろいろあって今ここ、をいろいろあった原因の結果として見る。その見方が既にして嘘であり、物語る手前に透明なストーリーとしてあるのだから。



はじめにあのように問いを立てたのはわざとで、問いは無限に改竄されていい。

“いろいろあって今ここ、をいろいろあった原因の結果として見る時に、今ここを巡るあり得た可能性が実際のそれと大きく異なる場合、いろいろのひとつひとつを改竄しはじめることは罪だろうか?”
“いろいろあって今ここ、をいろいろあった原因の結果として見る時に、今ここを巡るあり得ない可能性が実際のそれとさほど変わりない場合、いろいろのひとつひとつを改竄しはじめることは罪だろうか?”
“いろいろあって今ここ、をいろいろあった原因の結果として見る時に、今ここを巡るあり得ない可能性が実際のそれと大きく異なる場合、いろいろのひとつひとつを改竄しはじめることは罪だろうか?”


これらすべての問いに、あなたは無限の回答を与え、無限の嘘をつき、無限の物語を生み、無限の罪を負いながら、有限の生を生きなければならない。
皮肉なことに、そこにだけ自由がある。