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絶対にふられない男、西くん

大好きな人と一生を添い遂げたいと願うのは恋する人間の常ですが、悲しいかな、出会いには別れがつきものです。いわば私達は出会った瞬間から別れはじめているわけで、別離はたがいを繋ぐ磁力が強ければ強いほど、苦い味をもたらすでしょう。あらゆる誕生は終わりに向かって開かれています。そして、終末に向かう速度をうっかり愛が追い越してしまった時、時間によるつじつま合わせが開始されるのです。
シド&ナンシー、カート&コートニー、抱き合ったままマグマに飛び込んだKとL。
緩やかな腐敗を飛び越えようとした恋人たちの足を取るのは、決まって死という看守人でした。 
別れは生ける肉体を持つだれしもに訪れる悲劇であり、恋愛はこの繰り返しにほかなりません。しかし、もし仮に“絶対に振られない人間”がいたとすればどうでしょう?これはほとんど“絶対に死なない人間”と同様の怪異です。本当にそんなことが有り得るのでしょうか?
奇妙な例をひとつ、ご紹介しましょう・・・



その男、西くんとは友人を通じて知り合いました。初めて会った時、ドラムをやっているという情報からは縁遠い線の細さ、声の小ささに驚かされたのを覚えています。しかし実際、西くんは所属するサークルで随一の腕を持つドラマーなのでした。彼には天性のリズム感覚が備わっており、音楽オタクであった友人などは「マイブラも聴いてないくせに・・・」とやっかむほどでした。 
また、色白であった彼は「西くん、透けてる!向こう見えてる!」などとよくからかわれていました。かく言う僕も彼を透かし見た経験は一度や二度ではありません。「ちょっと西くん、また透けてる!S学部の校舎見えたもん!」 
失礼極まりない指摘に彼はゆるりと微笑み、こう答えたものです。 
「油断すると透けるんだよねえ」 



このようにキュートでマイペースな西くんに恋人がいると聞かされたのは、例の友人からでした。コムデギャルソンのシャツを着こなすオシャレな西くんのこと、相手はさぞ感じの良い女性であろうと想像しました。これは半分で当たり、もう半分で大きく外れていたのです。 
西くんの彼女は実に魅力的なメガネっ子ではあったものの、よく言えば奔放、悪く言えばとんでもない浮気症でした。二人の同居生活は一回生の後期から始まったのですが、嫉妬深い西くんに堪えかねたメガネっ子が家を飛び出し、男たちの流星につかまって散々楽しんだ挙句、疲れ果てて戻ってくるということを繰り返していたようです。あわれで純朴な西くんは、自分の不在時に彼女が帰ってきたら寂しがるから、と予定された講義を全て放棄。サークルとバイト以外は一歩も外に出ず、壊滅的な単位数から目を逸らすのでした。 
こう書くと、共依存の典型症状とせせら笑う方も多いかもしれません。しかしこの場合趣が異なるのは、“彼女の方は別れたがっている”という事実からでした。付き合って二年のうちに十数回家出、浮気を繰り返す関係などとっくに破綻しているのですから、考えてみれば当然です。では、なぜ別れないのか? 
それはひとえに西くんが“絶対に振られない男”であるからなのでした。 



ある夜、いいかげん痺れを切らした彼女が叫びました。 
「あなたのことなんて、ひとつも好きじゃない!」 
きつい一言です。しかし西くんはうろたえることなく、意外にも冷静に彼女の言い分に耳を傾けています。 
「顔も好きじゃない!性格もダメ!もう、なにもかも嫌!あたしは縛られたくないの!」 
いつ終わるともしれない罵倒が尾崎豊じみてきたところで、とうとう西くんは頷きました。 
「...わかった」 
その顔は仏のようだったと言います。 
彼女がほっと胸を撫で下ろした時、さらに一言。 
「今度は別の角度から考えてみよう」 
「はあ!?」 
別れ話に持ち込む流れを予期せぬ形で遮られた彼女は、思わず叫びました。 
「あんたなに言ってんの!?」 
もっともな反応です。西くんは仏のような笑みを絶やさず言います。 
「だからさ、僕のことが好きじゃないんでしょ?でもそれは、ある側面から見た場合のことに過ぎないんだ。別の側面から見れば、意外と好きってこともあるかもしれない。だからいろんな角度から考えてみてほしいんだ。ね?」 
なんだかよくわからない論理ですが、反論するのも馬鹿らしい妙な迫力があります。うんざりした彼女は 
「そういうとこが嫌だって言うのよ!」 
バタン、とドアを閉め出ていってしまいます。 



こういうわけで、メガネっ子は西くんと別れることができないのでした。彼女が別れを切り出すたび、「よし、今度は別の角度から考えてみよう。例えば…」と共に問題解決を図る教師のように悠然と構える西くん。ますます苛立つ彼女、飛び出した先で傷つき、戻り、「ほらね、別の角度から見れば分かるんだよ!」と喜ぶ西くんに苛立ち、再び飛び出す。どうしようもない無限ループが発生していたのでした。 
「事実上振られてるじゃん!」 
このようなつっこみも有り得るかもしれません。しかし、恋愛におけるふったふられたが天気のそれのように明確な判断基準を持たない以上、本人が「振られたんじゃない、別の角度から考える時間を与えただけだ」と言い張れば、これを追及することは不可能でしょう。 



僕と西くんとの交流はたった半年ほどで終わったため、ベトナム戦争なみに泥沼化した二人の関係がその後どうなったかは分かりません。ひょっとすると、別の角度から考え続けた彼女が一周している頃かもしれません。「もう考える角度がない!」詰め寄る彼女に「よし、今度は別の次元で考えてみよう!」 
西くんがこのようなアドバイスを与えたかはともかく、今日も数々の女性に“別の角度から考える”チャンスを授け続けていることでしょう。その顔は仏のように尊いはずです。 



というわけで、絶対にふられない男、西くんのお話でした。この文章になにか異議があるという方には、ただ一言、こう返すことにします。 
「別の角度から考えてみよう」