無題(青ざめた夢のために)

女の子と見たい映画女の子と聴きたい音楽女の子と行きたい場所が増えれば増えるほど、女の子は剥がれ落ちていく。

「あれに魂なぞない。獣だ。翼を失い、四肢をもがれ、落魄してなお吠える全霊の獣。覚えておくといい。もし腕を噛まれたら…」

かつてわたしは一枚の絵だった。
緩んだ娼婦の口に住まい、くしゃみの船で渡る旅人だった。

「もし腕を噛まれたら、血を流しなさい。流し切ったら笑うことだ。小さく、素早く。それから…」

女の子と見た映画女の子と聴いた音楽女の子と行った場所が増えれば増えるほど、僕はそこに居なかった。



かつて額装されていた絵は剥がれ、度重なる風雨によって流れ、旅人は追われる身となった。
気付けば、の・ようなものばかりが辺りを支配していた。芸術のようなもの、優しさのようなもの、美徳のようなもの、荒廃のようなもの。
パンのようなものを囓り、水のようなものを啜って命を繋いだ。やがて夜が明けると、うすっぺらな太陽が男を照らした。
「偽りだ!」
男は叫んだが、その悲しみの真偽は知れなかった。



『あの苛立たしい清潔な甘ったるい水、ただそれになりたくてまっくらに』
わたし以外の人間はみな苛立たしい清潔な甘ったるい水なのです。それを股の間に流しては、バキュウムのように吸い上げるのです。とても見ていられません。だからわたしは、まっくらになりました。誰にも見られないよう、まっくらになりました。どんなに明るい炎も、不在を焼くことはできません。どんなに高名な作家も、失語で綴ることはできません。見てくださいこのわたしを。空白でできたこのからだを。
あなたがたのようになりたくてわたしは、まっくらになりました。誰に見つけられることなく、まっくらになりました。けれどもそれは、あなたがたがわたしを照らさないためだと気付いたのです。いつかこの地上を流れゆく時、どうか御足をひっかけなさいませんよう…。



「自殺したい。されど、自殺したら死ぬそうな。死ぬのはやだから自殺はよした。死なずに自殺を夢見てありき、蛍がちらちら、光って果てた」
君はまともじゃあない。君がまともでないことは、この僕がちゃあんと承知しているからね。だから君、青い丸薬を落としてもこの僕を落としちゃあいけないよ。まともな世界で生きるには、手足がちょいと長すぎる。



ちょうど一年続いた実験も最終段階を迎え、あたりを取り巻いていた電流は微弱な快感からのたくる苦痛へと身を捩った。蛇どもの振幅は度し難く、その都度私は揺れた。
2009年。ゼロ年代とやらを締めくくるその年がどのように幕を開けたのか、記憶にない。本当は幕など開いていなかったのではないか。終幕の口上を忘れた哀れな舞台役者。芝居は続いていた。
蛇はその体を二つに分かっている。半身を2008年後半期、もう半身を2009年前半期。
その冬、私は華やかな諦念と青ざめた期待とを持って実験を開始した。大方の予想に反し、最初の一月は静かに流れた。私は笑い、泣き、しばし逡巡した後加速した。
来たる数ヶ月に迷いはなく、隅々まで笑う。痙攣が快楽へ昇りつめる瞬間、しなやかな声で蛇が啼いた。

つ……ん……ん…

瞬間。
積み上げた教養は灰となり、誠実と思いやりは錆びたコインに変わった。
地獄巡りが続く。
蛇どもは容易に私の体を侵し、首筋から股ぐらまで冷たい感触を残した。

つ……ん……ん…

どこかで一段高い声が響いた。その声が自分の奥から発せられるのを聞いた時、私は対象が入れ替わったことを知ったのだった。
(青ざめた実験)



光あれ!
そう言ったわけではない。しかし、全てのものが生まれた。
あるいはあたしはこう言ったかもしれない。
闇に沈め!



某日
君へ。手紙をよこさないでくれ。

某日
君へ。花を結ばないでくれ。

某日
君へ。夢に出ないでくれ。

某日
君へ。知らないところで幸せになってくれ。




女の子と見たい映画女の子と聴きたい音楽女の子と行きたい場所が増えれば増えるほど、女の子は剥がれ落ちていく。僕はどこにも居なかった。
だからこうして、哀れな不在を書きつけるのだ。