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風邪座りぬ

風立ちぬ1 -   だいなしのてんさい

の壁を超え、

風立ちぬ2 あなたへの質問 -   だいなしのてんさい

の網をくぐり抜け、

すべてはまったく新しい(狂った)『風立ちぬ』論のために。







①映画『風立ちぬ』が置かれた時代を世界的視野から描き直し、先に提示した“アウトサイダーアーティスト二郎”という見解の正当性を補強せんとする野心的な試み
②どこよりもわかりやすくひとりよがりな近現代芸術史講義
③壮大な悪ふざけと見せかけた深刻な問題提起“芸術家は永遠に寝取られ続けるのか?”
④ただなんとなく宮崎駿をディスってみたくなった

さあ、どれ?







堀越二郎は金持ちのボンボンだった。いじめられているカメを助けた浦島太郎一番乗り、カメムシ面のいじめっ子からチビを救った二番目だから二郎になった。
見事な背負い投げを見せた二郎は柔道一直線、とは行かず、大空を自由に駆け巡る日を夢見たが、ひどい近眼で、ならば操縦者ではなく設計者になろうと決めたのは、夢の中でカプロー二神のお告げを受けたからだった。アウトサイダーアーティストたちはみな、神の啓示を受けてある日突然芸術家として目覚める。挫折を味わい寝込む夢の中から、二郎もまた目覚めた。代わって眠りについたのは、ハキハキしゃべる一本気な少年。近眼は肉体から精神に主を代えつつ寄生する。
性格が近眼なため、二郎は女に興味がなかった。もとより二番煎じ、浦島太郎のように乙姫様とシッポリなんて褒美は用意されていない。頭がよすぎる理系人間にありがちな、棒読みのそっけなさと素朴な優しさのミルフィーユに成長した。この手のミルフィーユは、ただしイケメンに限って母性本能をくすぐる。
絵描きとしての道を諦め、ヴァイマル時代の前衛芸術を頽廃と糾弾するヒットラーは柱の陰で出番待ち。

少年は夢を見た。この世のものとは思えないほど美しい蝶がひらひら。目が覚めて少年は考えた。
「ひょっとして、僕があの蝶を夢見たんじゃなく、あの蝶が僕を夢見たんじゃないか?」
荘子辻潤が愛読した作家の一人だ。
社会主義の夢から覚め、ダダイストに生まれ変わった潤。
カプロー二は悪魔メフィストフェレスであるだけでなく、この逸話の蝶でもある。


20世紀初頭、自動車や電気製品、工場で大量生産されるプロダクトによって築き上げられて行く生活は、人々に大きな戸惑いと希望をもたらした。
夢にまで見た未来社会が到来したのだ!
現実が未来になったのなら、現実の突端たる芸術も古い殻を脱ぎ捨てねばならぬ。
こうしてヨーロッパ中に前衛芸術の花が咲き乱れる。パリではキュビズム、ドイツでは表現主義、イタリアでは未来派が。
なかでも“速度の美”を称揚する未来派は、自動車や飛行機、とりわけ先端技術の博覧会たる戦争を賛美した点において特徴的だ。古臭い世界を刷新するための通過儀礼として戦争を美化するおセンチさは、後のダダイストたちの嘲笑の的となる。

ーーフランツ・マルク「アウゲイアスの牛舎である古いヨーロッパは、このようにしてのみ浄化され得る。あるいは、この戦争が起こらないよう望む人間が1人でもいるだろうか?」

1913年の論文で騒音芸術を提唱した未来派の雄ルイジ・ルッソロは、自作のノイズ生成マシーン、イントナルモリを駆り、ノイズ化していく世界に我々の聴取体験を適応変化させていくことを提起した。
音は楽音とそう音に大別され、記譜できる楽音に対し、記譜不可能なそう音の中でも、特に耳に不快な音を騒音と呼ぶ。
ある時点まで音楽とはクラシックのことを指し、クラシックは「世界をまるごと音譜化したい」という激烈な所有欲に基づいて発展してきた。交響曲は壮麗を極めると同時に、うそおおげさまぎらわしいになっていき、ワーグナーにおいてひとつの極限に達する。リズムよりメロディーを、メロディーよりハーモニーを重視する風潮はここにきて見直され、エリック・サティらミニマルな作曲家を、またクラシックの鬼子としての現代音楽を生む。
こうした流れは音からそう音を徹底的に排除し、楽音の配列の妙を追求したクラシックが抱えた宿痾に差し向けられた処方箋でもあった。急激な工業化によって可能になった大量生産は、都市部における生活を一変させるとともに、そこに居住する人々の耳まで変えてしまう。電気自動車のエンジン音やけたたましいブザー音、均一のリズムで動く工場の機械音、これまでの世界には存在しなかったデジタルな音が生活の中に入り込んできてしまった以上、日々を円滑に営むためには我々の耳、ひいては思考身体をも環境に応じて変えていく必要がある。ルイジ・ルッソロはこのような文脈に従って、来るべき未来の音楽として騒音を予見したのだ。
飛んで40年。演奏上のミストーンすら表現として取り込んでしまったオーネット・コールマンの記念碑的作品『ジャズ来るべきもの』着弾。ずっとずっと、ジャズはクラシックに取って目の上のたんこぶだった。奔放な黒人音楽を白人音楽に吸収するための血の滲むような努力はバークリーメソッドとして結実するが、放蕩者のジャズは自由を求めさらに逃れ出ようとする。黒人と白人、帝国主義と奴隷根性のぶつかり合い。「ジャズは死んだ」とまで囁かれた衝撃的なアルバムの出現からさらに10年、ロックの登場が音楽界に与えたショックは、しかしそれとは比べものにならない。
響きの点からして、あらゆる音は基底音と倍音から構成される。始まりの振動と、震えの余韻。後者、つまりは倍音を無限に拡大増幅できるエレキギターは、テクノロジーの悪魔が遣わした忌むべき機械。バッハ、モーツァルト、ベートーベン、シェーンベルク。先人たちの果敢な努力を嘲笑うかのように、もはやどうあっても正確に記譜できない音楽が登場してしまったのだ。しかもそいつは瞬く間に若者を虜にし、世界中を熱狂の坩堝に叩きこんでしまう。これほど許しがたい状況があろうか?
ニューヨーク。革命的ハゲおやじジャクソン・ポロックの登場によって、それまでろくな画家のいなかったアメリカは田舎者の汚名をようやっと返上し、あの華やかなパリは芸術の都としての地位を明け渡そうとしていた。ジョン・ケージの間違った洗礼を受け、ピアノに斧を突き刺した現代音楽家の卵。即興弾き語りが得意な音楽ライター。へんてこな二人のその場しのぎのセッションから生まれたバンド、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドは、こうしたエレキギターの特性を自覚的に活用した最初のバンドだった。ドラッグの幻覚作用にも似て身体感覚を押し広げる騒音の快楽と、クスリ切れの冷え冷えとした夢うつつ。両極を兼ね備えた特異な音楽性は魔的な美のスタンダードとなる。より強い刺激を求めて世界はノイズ化の度合いを深め、時折、その反動として静かな音楽を喉の渇きを潤すように。80年代のワールドミュージックブームは刺激に疲れた人々のノスタルジー的な回帰志向の表れだったし、癒し系ブームはそれ自体90年代の病理にほかならない。癒し?そのおクスリの主要成分、アンビエントミュージックの始祖はブライアン・イーノだが、方法論的な先達にはエリック・サティ家具の音楽』が、大衆を慰撫するために音楽を活用する戦略は、アメリカにおけるミューザック社のエレベーター・ミュージックに既に現れている。さらに遡れば、音楽が人心に与える影響を危惧するプラトンアリストテレスの提言にまで行き着くだろう。
ルイジ・ルッソロの予言は的中した。いや、的中しすぎた、と言うべきか。当時充分に過激だったはずの彼の主張は、大衆という巨大な溶鉱炉に溶かされ、なんでもない当たり前のものとして消化され尽くしてしまった。前衛が辿る皮肉な道行き。
一方、自然界におけるすべての音を楽譜に移し変えんとする妄想的な欲求は、工業化に伴い自然本来には存在しなかった音が溢れかえるに至って、あらかじめ不能のものとなった。ロックの登場はこの不能を決定づける事態にほかならない。垂れ下がった巨大なペニスを見て勃ち上がった息子、現代音楽。これまでとはまったく異なる世界状況に音楽が拮抗するためには、音そのものを一から作り出すほかはない。そう考えたシュトックハウゼンはサイン波の合成に取り憑かれ、エドガー・ヴァレーズは電子音楽の道を探りはじめる。こうした方法論とサティ的なミニマリズムが結びつけば、スティーブ・ライヒが、テリー・ライリーが登場し、反復の気持ちよさがついにロックという倍音の嵐にさらされる時、クラフトワークやカン、ノイがテクノを用意するだろう。ここまで来れば、“INDUSTRIAL MUSIC FOR INDUSTRIAL PEOPLE”を標榜したスロッビンググリッスルまであと一息、ノイズ音楽史めでたく開通。テープカット!


1914年。第一次世界大戦の火蓋が切って落とされる。カプローニはイタリア未来派の搾りカス。未来派だから飛行機大好き、だけど搾りカスだから不用意に戦争を賛美するには至らない。
カプローニは芸術家というよりロマン主義的な性格を秘めた政治家なのだが、近眼の二郎にそんな真実は映らない。
マジメな少年が作り出したマジメな神様。一途に恋し、憧れた。


一方その頃。
だりー。戦争マジだりー。やってらんねえ。死ね、バーカ。
二つの対戦の端境で中立を保っていたスイスはチューリヒに戦争ぎらいの海亀、続々上陸。1916年、ドイツからやって来た反戦詩人フーゴ・バルキャバレー・ヴォルテールをオープン。敵国フランスのモラリストを店名に冠したことからも明らかなように、バルをはじめとするダダイストたちはイタリア未来派のような戦争への期待とは無縁だった。ダダは主義主張ではなく、まして運動体であるわけがなく、アメーバのようにズルリずるずる移動する。チューリヒからベルリン、ケルン、ニューヨーク、そしてパリへ。
ダダという名称の発案者はトリスタン・ツァラだともハンス・アルプだとも言われるが、さておき、ダダは生まれる前からダダだった。辻潤が確信したように、ローレンス・スターン『トリストラム・シャンディ』がダダであってもいいし(この物語に感化されてツァラはトリスタンと名乗ったにちがいない、などと潤は妄想を膨らませる)、ラブレーの『ガルガンチュア物語』に糞尿まみれのダダ的哄笑を聞いたってかまわない。
狂気の天才詩人・高橋新吉を通じてダダを知った辻潤は、遅まきながら日本初のダダイストを名乗りはじめる。


1923年、関東大震災
ダダはパリの地で終息し、シュルレアリスムが気炎を上げている。
上野から本郷へ、列車の中で菜穂子に出会う二郎。大地がぼこぼこ沸騰しはじめ、一気に盛り上がる!巨神兵もかくやという破壊の惨状。
辻潤の住まいはどうなった?

ーー「幸い老母も子供も女も無事だったが、家は表現派のように潰れてキュビズムの化物のような形をしていた。西側にあった僕の二階のゴロネ部屋の窓からいつも眺めて楽しんでいた小さなトタン張りの平屋がなかったら、勿論ダダイズムになっていたのは必定であった」

潤は高校の教師をしていた時分、教え子だった伊藤野枝と結婚し、以来六年間をともにする。しかし、岡本かの子瀬戸内寂聴らが後に連なる系譜としての“嵐のような女”野枝は、平塚らいてうから青踏社を乗っ取るに飽き足らず、家族を捨て、革命家・大杉栄の下へ走ってしまう。
かくして世紀のアナキストカップル誕生、ふられんぼ潤は文学史の一頁を彩る。


ふられんぼがなぜ文学史に?
若い女を獲得してご満悦の繊細な芸術家がたくましい行動家に恋人を奪われる。
痛ましくも滑稽なこの種の悲劇は文学上の重要主題として、また軟弱な芸術家に訪れる試練として繰り返し描かれてきた。
我が国の近代文学に目を向ければ、有島武郎『或る女』は友人・国木田独歩を振った女許すまじ!の怨恨から生まれた小説だし、独自のエロス観を展開した思想家ヴァルター・ベンヤミンは妻に「ヴァルターには肉体がなかったのよ。彼の精神性が彼のエロスを阻んでいた」などボロクソに言われ、映画の神様ゴダールは芸術的才能とともに“女に逃げられる才能”にも恵まれてしまう。エトセトラエトセトラ、キリがない。
早くも隔世の感のある草食系男子ブームは当初ふられんぼ芸術家の前に吊り下げられた合成着色料まみれのエサに思われたが、火のないところに煙を立てるマーケット捏造商法が救済の技法にまで高められるわけもなく、かえって問題の根深さを露わにしてしまった。
野枝は潤より11、菜穂子は二郎より7つほど年若い。二郎が菜穂子と出会う数年前に起こった“辻潤寝取られ事件”を思うに、ここにひとつのテーゼが引き出される。

宮崎駿はビビリである”

もうひとつ。

宮崎駿はビビリであるために菜穂子を殺さざるを得なかった”

風立ちぬ』において、宮崎駿は、ある暗い未来の可能性を無意識のうちに隠蔽してしまっている。
のんびり屋で鈍感な二郎が辻潤なら、本庄はさしづめ大杉栄といったところだろう。文学より政治を、理論より実践を重んじるタイプ。あらかじめ生存時間が区切られていたために菜穂子は二郎の下に踏みとどまったが、もしもあと数年生きていたら、病気とは無縁の健康体であったとしたら、どうだろう?繊細な草食系男子二郎にマア素敵なんてうっとりしたのも束の間、徐々に希薄な肉体性にうんざりしはじめ、清濁併せ呑む肉食男子・本庄の下へと走る。そんな未来が見えてはこないだろうか?
あなたには見えないかもしれない。しかし、自身芸術家である宮崎駿には見えた。見えそうになった。だからこそ、菜穂子と本庄を出会わせなかったのだ。あれだけ名言を吐き散らし存在感を見せつけた本庄が、後半スクリーンから消え失せるのはそのためだろう。作劇上不自然に思えても、菜穂子を本庄に引き合わせてはいけなかったのだ。
要するに、宮崎駿はビビってしまった。自ら創造する理想世界においてさえ菜穂子を引き止め続けられない可能性に不安を覚え、あらかじめその危険を始末したのだ。
飛行機にしか興味がない世間知らずのロマンチスト、あまったれでどうしようもない二郎のダメさをダメなまま愛し続け、菜穂子は彼といつまでも幸せに暮らしました。なんてあり得ない結末を、いいじゃねえかフィクションなんだから!と開き直って引き受ける覚悟もなければ、本庄という男の魅力に触れても菜穂子の愛は微塵も揺るぎませんでした。と堂々とウソをつく勇気もない。別の男と出会って恋に落ちる前にさっさと殺してしまえ!という反則技を通じてしか恋愛を美しいものとして描けなかったいくじなし。これこそが宮崎駿の正体だ。
マッチョといっても所詮、芸術家のマッチョイズムはひ弱さの裏返しに過ぎない。古来より連綿と続く“女を獲得してご満悦の繊細な芸術家がたくましい行動家に恋人を奪われる問題”に決着をつけられなかった責任は、地球より重い。
恨みます・・・


気になるのは、菜穂子の画家としての側面に光が当てられないことだ。殺人兵器たる飛行機の設計を生業としつつ、二郎はやはり芸術家である。カプローニの啓示を受けて創作を行うアウトサイダーアーティスト。菜穂子が創作の動機付けになることはない。二郎は菜穂子をミューズにしないし、ひっくり返ってもそんな発想が出てこないに違いない。では、彼は菜穂子をどのような仕方で愛したのか。いったいなにに「ありがとう」なのか。
また、プロアマの違いはあれど、菜穂子も芸術家である。印象派風の風景画を描いている。
なんのことはない、この二人は金持ちのボンボンの芸術家カップルなのだ。そんな二人が互いの作品に口出ししないのは妙に思える。
「お仕事がんばって」程度に菜穂子が留めるのは、専門分野に口出さないという配慮からだろう。が、菜穂子の絵についてただの一言も感想を漏らさない二郎はどうだろう。
鈍感というより、精神的近視の極みではないか。だいたいが、出会いからしてフランス語の詩を暗唱し合うというディレッタンティズム炸裂な代物で、やはり二郎はロマンチックでどうしようもない男の子としか思えない。いったい、彼は菜穂子のどこがどのように好きなのか?


カプローニは二郎に問いかけるのみ。
風は吹いているか?
わたしを驚かせてみたまえ、とディアギレフに発破をかけられた若き日のジャン・コクトーの姿が浮かぶ。早熟な詩人として社交界でもてはやされつつも模倣の域を脱せずにいたコクトーは、この挑発を受け、真に代えがたい芸術家として目覚めた。
風立ちぬ』の小説家・堀辰雄コクトーの影響を大いに受けている事実は、澁澤達彦がつとに指摘している通りだ。三島由紀夫が“軽金属の天使”と呼んで羨望のまなざしを送ったジャン・コクトーは、戦後日本の芸術界におけるミューズだった。 



《アイデア・スケッチ》

反戦、戦争という狂気に寛容を求めたトマス・マンの肖像。渡辺一夫

フロイトユング心理学の影響下で、夢という無意識の結晶体から霊感を得たシュルレアリストと二郎の共通点。

見立て
・二郎、辻潤=戦争忌避のダダイスト
・本庄=反芸術による世界の変革を目指した政治志向のシュルレアリスト
・カプローニ=未来派の生き残り。未来派が生んだ芸術は批判的にダダ・シュルレアリスムに継承される。

取り出したい結論
いろいろあーだこーだ言って、なんやかんや違っても、夢の中ではみんな同じ、という独善的な救済を二郎の夢の中に見る。未来派カプローニもダダイスト二郎も、夢の中では単なる芸術家。みーんな同じ。
ただし、こうした夢は死のビジョンに近づく。

辻潤共産主義ダダイズムも超えて単なる辻潤に成った、ただしその代償として気が狂った。のに対して、二郎の道行きはどのように位置づけられるか?
この検証をもって論を結ぶ。